「はい、じゃあここに立って。この辺ね。」キビキビとO先生は、揚幕の後ろの立ち位置を示された。先生のお稽古はいつも緊張する。今日はお面をつけているせいもあって、よけいだ。舞台での稽古は二回目。最後になるので、能仲間のLさんにビデオを撮ってくれるように頼んだ。時間は30分。短い。私を能に始めて紹介してくださったE先生にも来ていただく。この3ヶ月間の成果を見てもらうためだ。 それにしても、舞台の位置取りもよくわかってないのに、面をつけて敦盛の後ジテを全部やろうというのだから、無謀だなーと思う。でも、どうしてもやってみたい。やるしかないのだ!と自分をふり立てていると、舞台からもう、O先生の謡う一声(入りの音楽)の囃子が聞こえてくる。よし、と腹を決める。ヨー、ホー、ホーという鼓のかけ声をたよりに、橋がかりを渡っていく。一の松でサシて行き、シテ柱を左肩にかすめて舞台に入る。。。と。。あれ?今日は感覚が違う。体の回りを風がスースー通っていくようで、広いところにぽーんと一人放り出されたような感じだ。少ししか見えないせいかな?と考えている間もなく、どんどん劇は進行していく。今日はO先生、やっていつ間中一言も発しない。うまくいっているのかな?それとも?あとで聞くところによると、これは、面をつけたらもう直せないという決まりがあるということだった。
能舞台は最初、屋外にあった。役者も観客も共に、自然の息づかいと呼応しながら、一つの壮大な世界をつくっていった。この開かれた吹き抜けの舞台に立って、外の世界との道を開くには、自分の中に固まっていたのではだめだ。体の中には常に、風や、気や霊や音や、魂など、いろんなものが出入りする。体は宇宙の四方からひっぱられ、宇宙の中心に立っていく。エゴの無い体と心が一体になる状態を役者はめざすのだろう。
「はい。」O先生の声が聞こえた。20分の後ジテを終えて舞台から出るところを指導される。「ここは大事。背中を意識してしっとりと。」ゆっくり足を運ぶ私の横を先生も歩いてくださる。鏡の間に入り、鏡の前に立つ、面をつけた自分を見る。なんとかのりきった。「今日は出来なくても、それが明日の種になる」O先生から教わった、喜多流家元の言葉が聞こえた。